自由が丘散策ブログ第二弾。
東京出身・東京在住の方には分かりにくいかもですが
地方出身・上京組のわたしには
東京の地名による『きっとこうだろう』像がありまして、
たとえばココ、自由が丘だと
『すんごいオシャな若者街』みたいなイメージがあったのです。
まあ、半分はその通りでしたが
半分はやっぱり違っていて
これが東京のいいとこなんだよな〜〜ってなりました。
新宿なんかは上京前は『歓楽街で迷宮』なイメージでしたが
これはまあ、ほぼそうでしたね。
でも思い出横丁やヨドバシカメラ、
老舗の天ぷら屋さんやニュウマンなどが
私の新宿ライフをどれほど支えてくれたか
筆舌に尽くしがたいです。
東口もそろそろ覚えた頃でしょう。
割と早い段階で西口から南口に抜けるのは覚えたのですが
東口がほんとーに!迷宮でして。。。
ようやくですね。
新宿駅検定があったら、3級にはなんとか合格できそうです。
そう、東京には駅それぞれに個性があり、
駅それぞれのイメージがあり、
それが楽しくもあるのですが
『自由が丘』このオシャンティなネーミング。
(ただ私個人としては夢と希望を連想させるネーミングの土地、
例:夢ヶ丘、希望ヶ丘など。は、
その名前になる前の名前が気になる類です。)
(その名前になる前の土地の名前が曰く付きの場合があり、
その土地らしい名前←地盤がゆるい←崩壊しやすいよ危険!的な名前、
などがつけられている場合があるからです)
鬼怒川の決壊などがわかりやすいですかね。
これは昔のネーミングを生かした上でなるほどなってなった例です。
話がそれました。
自由が丘も江戸時代以来は「谷畑(やばた)」と呼ばれ
畑と水田と林に覆われた田園地帯だったんですね。
大井町線開通とともに名前をどうしよっかってなり、
当初は「衾駅(ふすまえき)」になるところを、
直前になって『自由ヶ丘』駅にしたってことなので、
まあ、
だいたいの土地が山か川か田園地帯ではあったのでしょうけど
田畑があったってことは、それなりに落ち着いた土地だったのでしょう。
なんの話でしょうか。
クラフトビールはおいしかったです。
いろんな下町の景色が見えてとてもよい散策でした。
自由が丘、名前の通り、なんだか色々自由でよかったですよ。
名は体をあらわすようになるのでしょうか。
そして立会川も今後、
掘りに掘って行きたい場所になります。
『お〜い竜馬』読んでますから、今。